おぎっち

さとしそはひきこく


 ホンマは昨日 遣る予定やったけど、軽の修理に 部品を取りに行って 治した、、


 昨日 親戚の葬儀が 火葬が早く 午前中に終わると想ってたので、飯田から帰ってきてから取りに行こうと思ってたけど、、

 田舎の葬式って 大阪と違って 色々な流れが 一つ一つ 行われていて、、意外と時間が掛かって 大変なんやね、、


 まぁ、、家族は もっと大変やな、、



 大阪って 今 想えば、、結構 簡略してて、、人との繋がりが多く 逆に その分 薄く?余所余所しい?から、、

 葬式に行くと言っても、、まぁ 告別式の中で 顔を出して 終わるんが普通なんやろけど・・


 田舎って 丸一日 潰れるんやね。。



 俺はドライな? 大阪の方が好きなので、、


 余り 同情したり、、過剰な繋がりを求めたりは 好きじゃない、、。。



 寂しいけど、、何時までも同情してても それが死に対して 何が変化する訳でもないし、、


 生まれ変わる訳でもないしな、、現実・・・



 よは 残された人間が どう心の置き所を求めるか に 掛かってるだけやと 想う。。


 それが宗教なのか 文化なのか いろいろ在るんやろけど・・


 俺は そんな儀式や 宗教に いちいち同情を縋りたいとは 想わん、、


 自分の亡骸なんて 絶対 他人に見せたくないし そんな中で同情されるなんて 絶対 嫌、、



 「可哀想、、」なんて 自分の亡骸の前なんかで 絶対 言われたくない、、


 そんな場面で 同情なんか されたく無い・・


 そんなんやったら 生前に 俺を可愛がってくれ。。



 亡骸に成ったから 同情するなんか 逆に イライラする・・



 それに あんなけ死んでから 儀式やの同情する場面やのが 多かったら、、残された家族が大変やろ、、


 亡くなっただけで辛いのに その度に 周りに気を使いながら 何度も 振り返ってたら、、立ち直るのも一苦労やで・・


 相手を敬う部分と 自分が どう受け入れていくかと言う部分を もっと明確にしないと、、


 共倒れ?やで・・


 同情だけでは 誰も報われん 違うかな?


 よう解らんけど・・






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