おぎっち

りのしはそ


 「おくりびと」昨日 やってたな・・

 最後 失踪した親父さんを納棺師として化粧する過程で 自分の親父の記憶を取り戻して行く

 ってのが この映画の完結なんかな・・


 亡骸に化粧をする事によって 亡くなった人に ひとつの敬意と尊厳を与えて 故人を送り出す・・

 人の死を職にして 差別をも受ける仕事?

 と 描かれてた。。



 まぁ アメリカじゃ 人の亡骸を 自動車の衝突実験の人体損傷の具合のテストに使われるんやから

 逆に こういった異国 日本の死の姿の表現した映画が評価されたのかもな。。。


 亡骸への尊厳か・・・



 俺も死んだら あの箱に入って 人にジロジロ 観られて、火葬場の機械に閉じ込められて 見知らぬオッサンにスイッチ押されて 燃やされるのかな?・・・


 俺の身体って 俺なのかな??

 心は違って別の空へ..って 宗教の 領域を解くのか?ね。。


 それも 哀しいな。。。



 同情されたく無いと言うより、俺の亡骸を観て 扱われて 俺の身体なのに 他人に委ねられて、、自分の想いとは別に 扱われて 燃やされて、、


 自分の身体なのにね・・・


 嫌だな。。。



 心が消えた時点で 全てが消えれば 良いのに。。。


 身体だけ残されて 他人に委ねられて 勝手に同情されて、、


 嫌だな・・・・



 墓を考えるより 今の俺の心の尊厳を ひとつの何かにして、生きる最後の寸前までを 全てにしたいな・・・


 それ以降なんか 何も存在させたくない、、



 死後を解くと言うより 死後を解く事で 今を大切にする事 こそが 仏陀の残した本質?で、、


 ホンマは死への恐怖を 死後を解き語ることで 今を大切にさせる 仏陀の生への尊厳で在って、

 その死後の部分だけ時間とともに残り  宗教の組織の思惑や政治に翻弄され 残ってしまったのが 天国なんかもな・・・


 ホンマの仏陀の願いは 苦境の環境に苦しむ 今の北インドに在った 貧困の環境に苦しんだ人々へ「生への尊厳」と言う喜びや意思を与え救う為に

 天国を創造し 与えたのや 無いやろか??


  死への尊厳の最も大切なのは 生への喜びと願い 感謝やと想う・・



 「おくりびと」や無いけど、


 死への尊厳は 生への喜びと希望を与える 人が残す最後の偽善かもな・・・



 「宗教を信じれる人への 羨ましさ」ってのは そこに在るかもな。。



 仏陀が残したモノは 偽善で在っても その根源には 今と言う「生」への 一つの「救い」への願いも 在る?のかな。。


 苦しむ人に 生きて欲しいから 死を解き続けた・・


 仏陀 最後のハッタリかもな。。。