おぎっち

まったくもって どうでも良い話ですが、、

写真は、10年くらい前の熊野のBR3のレースで2位に成った時で、、私が人生最後?に表彰台に立ったレースです(左から2番目..)・・

この時は、通産省杯?かなんかのレースで、熊野で開催されてました。

この年は シーズン半ばまで実業団登録せず、8月から登録し、前年のポイントが消滅して、BR1から3へ落ちてました。。

春先にベルギーへ行ってボロボロに成り、心が腐り、レースを止め、、4月に継続しませんでした・・

けど、未登録のまま 当時 よく行ってたタニムラの練習会に行っても、みんな週末はレースに行ってしまい、、相手してくれる人が居なくなり、、

8月に成って、クラブをタニムラへ移して再登録して、BR3の0ポイントから スタートしました。。

BR1からBR3に変わったので、集団の技量のレベルが急激に変わり、、恐くなって 常に逃げて 捕まったら止める?みたいな走りをしてました・・。

それで、この熊野の実業団レースが在って、最初の平地区間で 1分先にスタートしたBR2を吸収してしまい、、
集団が200人くらいに成って 山岳に突入しました。。

あの細い千枚田の登りを200人で突っ込む事を考えると、、恐ろしくて、、
無理やり集団の前ので上がって、千枚田の登坂が始まのましたね。。

すると、ナルシマの小野口選手がガンガン先頭を引き出し、オッティモの武末選手とシルベストの溝端さんが追う形で その後ろに付き、千枚田を登り切って、
下りに入って 小野口選手を追い掛けて吸収しました。。

彼を捕まえて、集団を振り返れば 7人くらいにまで減っていて、、後続とのタイム差が50秒くらいに成ってました。。

そして、次の登りで 再び小野口選手と武末選手と溝端さんが抜けだし、
自分は4番目で一人 孤独に?追い掛けてました・・。

そして、下りに入ると 路面が藻が生えてて スリッピーに成り、落車が多発?し、降ってると 溝端さんが落車してて、武末選手もコケてて、、

「あれ?、俺の前は小野口君だけ?」みたいに成りました。。

ただ、、ここでヤヤコシイのは、集団がBR2を吸収してるので、誰がBR2で 誰がBR3かが解らなくなり、、

前で逃げてる小野口選手は 前の小川村BR3で優勝してたので、ルール上 BR2に昇格してる筈なので、、

「自分が3でトップ?」みたいな話に成りました。。

その後、最後の登りで、シルベストの松木選手が追い付いてきて、
ヘルメットを観るとBR2のシールが貼ってたので、、

「BR2ですか?、」と聞いたら そうだと言ってたので、、「自分は3なので一緒に行きましょう」みたいな感じで、、

結局、一緒にゴールしました。。

ここでヤヤコシイのは、先頭の小野口選手が 2か3かが解らず、、
自分は、勝ったような負けたような、、なんかスタートは小野口選手と一緒だった気もするし・・

結局、リザルトを観れば 彼はBR3で 勝った事に成り(2でも3でも 彼は優勝だけど..) 私は2位で、、一緒にゴールした松木さんが BR2で優勝してました。。

でも、この日の成績で BR2に一発昇格に成り、、

通産省杯?は、年間のポイントが高く設定されてて、、わたしは このレースの2位の成績のポイントで、シーズン終了後に 今度はBR1昇格20人枠に入り、

わずか半年で BR1に戻っちゃいました。。

海外へ行ってはポイントが無くなり 降格を繰り返してたので、 この時は たぶん BR1に昇格は4度目?でした・・

けど、、心が腐っちゃいましたので、、翌年は 殆ど走らず  そのまま レースを辞めちゃいました。。

ちなみに?、写真の右端は同じタニムラで 当時 一緒に練習してた4位の平田さんで、、

翌年はBR2で走り、小川村で優勝し、BR1へ昇格してましたけど、、そのまま 平田さんも翌年 レースを辞めてました。。