おぎっち

ていすかんなにら


 3デイズ熊野 懐かしいね・・

 30代始めくらいに 3回 出たな・・

 最初に出た時は 初日から完走出来ず、、救済で次の日も走ったけど 全然 走れず、、山岳に入る前に遅れ、、そのまま辞めたな。。

 初日はプロローグと 110キロ位の平坦コースで、二日目は125キロくらいの山岳コースで、3日目は90キロくらいの?クリテやった。。


 翌年、2回目に出た時は、月1000キロくらいしか乗ってなく、スタミナが無く、、

 初日は最終ラップの 最後の関門でハンガーノックに成り 降ろされたな・・


 救済で救われ、翌日の山岳ステージは、

 千枚田を2回登り、 かつ標高500mくらいのフナダテ?峠を登る 125キロくらい?のキツイ コースやったけど、

 なんとか第2集団で 全部 超えて、最後の10キロのフラットで 再びハンガーノックに成り、、

 1人 遅れ、、空腹に泣きながら? ゴールしたな・・


 40位前後?やったけど、、一番キツイ ステージで、、シマノやアイサンやミヤタやニッポや ラバネロや 一流のクラブが参加してて、

 自分は 月1000キロ 冬の鉢を走るだけやったから、

 ゴール 出来るとは想ってなくて、、妙に嬉しかったな・・

 3日目がクリテやったけど、、30周の内 20周走ったら「ゴール扱い」やと言ってたので、、

 20周 我慢して集団に残って、、20周を通過した時点で そのまま千切れて、審判に降ろされるまで ゆっくり走って、

 (審判に降ろされず、、そのまま自分で辞めると 「放棄」と見なして?成績が残らない、、)

 赤旗と同時に 降りて、そのまま 主催者が用意してくれた 温泉へ直行し、


 「一番風呂や〜♪」と 1人 泳ぎながら 温まったのを 憶えてるわ。。


 結局、初日に完走して無かったから、、「30周 完走」って、、もう どうでも良くて、、総合成績の残る20周で 辞めた・・・

 ゴール後に福田さんに「行けたやろ?(ゴール)」と言われたけど、、苦笑いして 誤魔化した・・

 総合で50位?くらいやったかな、、


 当時は カテゴリーのポイントは、カテゴリー分けされて無く、1番目から3番目まで 全て同じ枠やったから、

 自分のカテは2番目に落ちてたけど、

 熊野は クラブに一番上のカテの資格があれば、 2番目カテの選手でも 2人だけ 1番上のカテに参加出来たから、

 自分は その枠を使って 一番上のカテゴリーで走った・・


 なので、この一番上のレースの「完走扱い」で 30ポイント?くらい入ったから、、2番目のカテの総合2位と 同じくらい?ポイントが貰えたな。。(40ポイント貯まれば 一番上に上がれたからな・・)


 とにかく?前年が酷かったから、、山岳ステージを完走 出来ただけでも?嬉しかったし、

 雑誌で観るような? シマノやアイサンやミヤタやニッポや、一流選手に囲まれた集団に残ってたのが、楽しかった・・



 3回目に出たのは翌年やったな、、

 この年は 3日間とも完走出来たし、例の2日目の山岳ステージも 30位くらい?やったかな・・

 フナダテ?峠を第2集団くらいで超えて、、2回目の千枚田で遅れて、2人くらいでゴールしたかな。。


 フナダテ?の峠で 前で逃げてたシマノを含めた10人くらいのトップ集団が 辛うじて?見えてて、

 自分成りに?追い駆けたけど、、レベルの違いでジリジリ離され、、残った第2集団も 次の2度目の千枚田で 遅れ、、

 結局 ゴールした時はヨレヨレ?やったな・・


 シマノの阿部選手やニッポの岡崎選手や、、若い頃に 自分が憧れたり?目標にしてた選手が、 この同じカテゴリーのレースで走ってたけど、、結局 レベルが届く事は無かったな・・


 翌年は? この時期 ベルギーへ行ってたし、、


 それ以降は クラブも辞めて 1番上のカテゴリーで走る事は 無くなったな。。







 ちなみに? その何年か後の、3番目のカテまで落ちた時、何チャラ杯の全日本実業団が この山岳の熊野であり、

 2番目と3番目のカテゴリーが 1分違いで開催され、3番目のカテで自分は参加し、

 山岳に入る前に 3が2の集団を吸収してしまい、、200人の集団に成り


 そのまま千枚田の峠を登り、、武末?という人と小野口という人が 飛び出し、

 必死に?追走してたら 後続がバラバラに成り、 8人のトップ集団に残ってしまい、、

 次の峠を超える時に 再び 武末選手と小野口選手 溝端さん?が 飛び出し、、


 自分は1人 ジリジリ遅れながら登り・・


 次の降りで 落車が多発してて、武末選手と溝端さんが 扱けてて、、

 最後の峠で シルベストの選手が追い付いてきたけど、 俺はカテ3で その人はカテ2やったから、、

 2人でゴールした、、(2人で戦っても 成績は別やからね・・)


 ここで 一つ ややこしい疑問の 足し算と引き算が 頭を過ぎった・・


 「俺は、、2回目の峠で 3人に千切られた・・」


 「けど、降りで 落車が多発し 2人?は 扱けてるのを観た・・」


 「けど ゴールの最後の峠で 1人のシルベストの選手に追い付かれ、、そのまま2人でゴールした・・」


 「ただし、、レースは前半で 2番目と3番目のカテゴリーが混じってる?・・」


 「って事は、、飛び出した3人のカテ、降りで扱けた選手のカテ、追い付かれた人のカテ、、」

 足して?引いて?一人 足らない・・

 「ナルシマの小野口選手や・・」


 そう、飛び出した3人中、1人 扱けずに ゴールしてるが、、彼のカテゴリーが解らない・・

 何故なら、俺と一緒にゴールしたシルベストの選手は 2番目のカテやから 俺とは違う・・


 小野口選手が2番目のカテなら、俺がレースに勝ってる。。


 小野口くんは 前のレースの小川村を3番目のカテゴリーで参加して 優勝してる・・

 やから 昇格してるハズや?、、


 やから ゴールで 手を挙げようか?と悩んだけど、、「けど、小野口君が3番目のカテなら、俺は2位やな・・」と想い、、結局 そのまま 何もせずゴールした。。


 案の定?小野口君は3番目のカテやったから、、俺は2位やった・・

 って事は、、2番目のカテの優勝は、、俺と一緒にゴールしたシルベストの人やった・・

 残念。。

 それが 自分の熊野の最後のレースやったな・・


 けど、その時はレースも ヤル気は無くなってて、、タニムラで平田さん等と走ってた程度やったけど、

 その熊野の何チャラ杯ってレースは ポイントが異様に?高く、、しかも その2位で2番目カテに昇格してしまい、

 異様に多く得た? そのポイントを持ったまま、2番目のカテでシーズンを終えた為に、、ランキング昇格の枠に 俺は入ってしまい、、


 そのレースのポイントだけで、、1番下から 再び 1番上に登ってしまったな。。