おぎっち

どうでも良い話ですが、、
30年位前、二十歳前後の頃に フランス.Bretagne地方のサントル.ルイゾンボベと言うプロ養成施設にお世話に成ったんですけど、、
私はカテゴリーの低い3や2で転戦する事がメインで、100~140キロくらいのレースを週2~4回ほど参加してました。
 カテゴリーが低い分、ジュニアと混走する事が多く、ルイゾンボベのジュニア部門の選手と走る事が多かったので、ジャージもジュニア.チーム用の赤のジャージで転戦してました。
レース展開も そのジュニアの選手と一緒に逃げる事も多くて、その中でも めずらしく私に声掛けしてくれる選手が居てて、
「オジタ!!、今だ アタックしろ!!」と レース中も 互いに そいつと声を掛け合って レース展開を動かしてました。
ただ、私は着には入るけど なかなか勝てなくて、そいつは16歳やったけどジュニア.カテゴリーで勝ち捲ってて(レース後に別々に表彰される..)、 20歳の私より強かったです。
そんなこんなで 数年後、友達がジャパンカップのチームサポートで行ってて、
メールが届いて「荻田さん、あいつ日本に来てますよ、オジタを知ってるって言ってましたよ!!、」って、、声掛けしたら私の事を憶えてくれてて・・
あの時、一緒にレースに出捲ってたジュニアの奴が、後に欧州トッププロのコフィデスに入り、二十歳でプロのジャパンカップに出てました・・
結局、そのプロのジャパンカップは7位でしたけど、
そののち、ブェルタやツールドフランスにも選ばれ、実家で国際中継で観てたら、そいつがアタックしてる姿が映ってました・・
「あいつや、、俺 あいつ知ってる、、あんな所(ヴェルタ.エスパーニャ)で 山岳賞ジャージ 着ながらアタックしてるやんけ・・」でした・・(山岳賞は終盤ステージで失ってましたけど..)
私が居た あの場所は 確かにローカルやったけど、「世界最高峰と繋がってる..」でしたね、。
他にも、ルクセンブルクからジュニア.チームが10数人ほどルイゾンボベ(ジュニア)に来て走ってましたけど、
その中に16歳のフランク.シュレックが居てて、そいつもジュニア.カテゴリーで勝ち捲ってました。
フランク.シュレックって「兄」のイメージがあると思うけど、もう一人上に兄が居た筈?、、
ルイゾンボベの寮の私の隣の部屋に シュレックと似たような顔の選手が その以前に住んでた気がします・・
彼はシーズン途中で帰って行って、「さよなら、もう帰ってこない(辞める..)..」と最後の挨拶で言ってました。。
どうでも良い話ですが・・
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ただ、どれだけ才能やポテンシャルが有っても、オッサンに成ってから(23歳~)欧州に飛び込んでも、意味が無いし 遅過ぎると思います。
19や20歳前後の 若い欧州のプロ上がりの新人選手等にボコボコにされて、結局 チヤホヤされた「井戸の中の蛙」、国内に戻るだけで 意味が無いです・・
ホンマに日本が世界最高峰と勝負させたいなら、ジュニアの段階から才能のある選手を見つけ出し、
欧州のジュニアや育成のレースをガンガン走らせ、そこで選別させ、生き残った選手を 世界最高峰 欧州プロロードの場で育て上げるべき やと思います。