おぎっち

 

 

どうでも良い話ですが、、
私は30年前の二十歳の頃、浅田さんの紹介で フランスのサントル.ルイゾンボベと言う プロ養成施設を紹介して貰い そこの寮に居ながらレースを転戦してました。(私は 電話で1回 会話した程度なのですが・・)
 日本の自転車メディアは ポガチャルやのファンアルトやファンデルポールやの ツールドフランスやクラシックレースや、頂点のレースばかり流していて、
その割に その選手等がプロに成るまでのプロセス「育成」の部分は 全く伝えられてなく 情報が空洞化してると思います。
自分は むしろ その育成の部分ばかり フランスやスペイン(バスク) ベルギー等 一応 200レースほど走り、挫折し捲りましたが、、
そんな中で 勝ち捲って ドンドン 上へ上がって行く奴等が プロに成り、その一部がスター選手に成れるんだと思ってます。
逆に言えば、大半の選手は そんな選別の中で散っていき、消えていきます・・
一部、プロでは食っていけない 4流のスペイン人なんかは 日本に来て実業団レースや日本リーグ?で勝ち捲ってます。
私がお世話に成ったルイゾンボベの施設は 私が記憶に残ってる選手だけで 4~5人は のちにプロに成り ツールに出て 日本のスポーツ中継で観掛けて「あいつや、、懐かしいな・・」って ありました。
当時 同じマイナー国から遣って来てた 一緒に練習してた19歳のニュージーランド人は 毎日200キロとか LSDの練習でバンバン引き倒し 
自分は それが速や過ぎて 付き切れで 何度も散ってましたが、あいつにはLSDでしか無かったんでしょうね・・
そいつも「俺はプロに成る、お前は何故ここに居るんだ?、」と言って、トップアマのレースに勝ち捲り、
その数年後に クレディ.アグリコルからプロに成って、テレノアドリアッティコや地中海一周や 総合6位や8位に成って ツールド.フランスのメンバーに選ばれてました。
ただ、実際はオグレディのアシストばかりさせられてて、オグレディがパンクした時に そいつが自分の自転車を渡し、集団から散ってました・・。
そのシーンをテレビで見て「あいつや、、懐かしいな・・」と思ったものです。。
よは、彼らは育成の時代に 育成のレースで勝ち捲り、その中でプロに這い上がれた奴が、日本のメディアで流れてる「頂点のレース」で、
日本は そこばかり流して 国内で走ってる選手等が「簡単にプロに成れる」と勘違いして 
企業の力を使って欧州のプロを走り ボコボコに成って 日本に戻ってくるパターンが続いてる気がします・・
この空洞化した 欧州の「育成」の部分を 育成年齢(17~21歳くらい)の時代に バンバン欧州で走り倒し、
そこで鍛えられ 生き残った奴を増やし プロにさせる。
日本で唯一 浅田さんだけが これを遣ろうとしてる気がします・・