おぎっち


いつもの?どうでも良い話ですが・・

ベルナールスポルトで有名な?、フランスのリビジョン.ナショナル1 トップアマのクラブがプロ化したブルターニュのプロクラブ、フォルテュネオ・オスカロです。。

20数年前 当時、自分は フランスで走れば、トップアマはブルターニュに集中してて、、

ベルナールスポルト(ジャンフロック) ポンティビー、コタダモール、バンデ.ウー、、そして自分が居た寮のサントル.ルイゾンボベ・・

プルミエのレースに行くと、それ等の選手等が多く参加してて、、強烈に強かったです・・

けど、自分が居た93年以降ってのは、フランスの自転車スポーツは低迷期に入り、人気を失い、、最後に行った 2000年くらいに成ると かなりレースが減ってました。。

結局、当時 アマがプロ化し、、育成のレールをプロのレベルの世界へ入り、、プロとアマの垣根が無意味化されてて、、

バスクが エウスカディ(エウスカルテル)というクラブでプロ化して、育成の土俵をプロロードの世界で育てる体制へ変化してました・・

その流れで、ブルターニュも、ベルナールスポルトをプロ化して、現在で言うフォルテュネオ・オスカロとして、世界最高峰のプロロードの土俵で、ブルターニュの選手を育てる体制へ 進化させてます。。

自分は欧州で走った、スペインのバスク、フランスのブルターニュ、ベルギーのフランデレンと、
自転車がメジャーな地域でしたが、同時に 民族色が強く 独立闘争も激しい地域?だと思います。

そして、昨今 マイナー国だった英国や豪州、米国やカザフやが、国家戦略の元で 力を付けて、メジャー国以上に活躍し、ツールを多く制覇する様になりました。

それは、同時に、メジャー国が低迷し出し、、過去の地域の溶け込んだ自転車文化にアグラをかき、カテゴリー制や育成のレベルが古臭く成り、、進化する機会を多く失い、、

フランス人が最後に 地元ツールで総合優勝したのは、30年以上前 ベルナールイノー氏に成ります。。

そのイノー氏も、ブルトン、いわいるブルターニュ出身で、昔の体制で活躍した名選手ですが、それ以降 同等のレベルで活躍するフランス人選手が居なくなりました。

そういったマイナー国で飛躍する姿に翻弄されるメジャー国の中で、マイナー国が取り組んだ「国家戦略での育成組織のプロ化」ってのが、、今度はメジャー国に必要と成り、、

その姿が、バスクエウスカルテル.エウスカディや、ブルターニュのフォルテュネオ・オスカロ、フランデレンのスポルト.フランデレンの様な、
民族地域が中心と成って 育成をプロ化する組織戦略の誕生?に繋がって来てる気がします。

自分が居た、93年前後の フランス ブルターニュにある プロ養成施設だったサントル.ルイゾンボベも、プロの育成機関でしたが、
クラブは育成の土俵がトップアマに限られ、能力の在る選手等は 研修生としてプロのカストラマに加入して、プロのレースを走ってる選手が何人か 居ました。

それは、育成の土俵は あくまでトップアマ、リビジョンナショナル1のカテゴリーレースで止まってしまい、、
そこで停滞してしまった、年齢を重ねたオッサン選手も多くいました。。

当時、それを観たアメリカのナショナルチームのスタッフは、「フランスの選手はオッサンばっかりだ..」と 言ってましたね。。

それが 後のフランス停滞を生み、アメリカやオーストラリア といった後に五輪(アトランタシドニー)を控える 国家ティームがプロ化して 飛躍し、フランス等を上回る起点?だったと思います。

ただ、昨今 メジャー国も 育成組織をプロ化させて、プロの土俵で 二十歳前後の新人選手を走らせてて、

きっと このフォルテュネオ・オスカロも、ブルトン(ブルターニュ人)選手を プロロードの土俵で育成させる為、誕生した 進化型の育成プロセスを描いた姿?かも知れませんね。

日本も、育成の土俵を「世界最高峰の欧州プロロード」の土俵で育てる 国家育成プロ組織が必至だと思いますが、
現在は、そう言ったプロセスを描ける スタッフや 育成の人材が乏しい?かと 思います。