おぎっち

しいはすきかくんなまにのらり

 永山さんが裁判の場で

 自分の「育ち」である 極貧とネグレクト(親の 子へ愛情を与えない 暴力とは真逆?の虐待)が、

 最終的に?4人を「殺す」大きな一つの要因では無いか?と 問われたらしい・・・


 ただ、裁判の判決の中の「育ち」に関しては、

 永山さんは4人兄弟やったらしい?けど、、他の3人もまた? 同じ成長を歩んでるが 人を殺すことは「無かった」と? してるらしい。。

 永山さんは19歳の時に 4人を殺したらしく、


 「少年」と「死刑制度」の部分で、、


 この前 死刑判決が確定した福田ともまた、、父親から「虐待(暴力)」を受けて育ち 母親は自殺してるらしい・・


 法治国家ってのは、人類が進化していく中で 「罪」と言う脳を得た事をキッカケに、

 農耕へ進化する事で、居住として「地」を張り、「民族」から「国家」へ?向かったらしい・・


 そのキッカケが「投擲道具」やと言われてるらしい・・


 人は動物に投擲道具で殺し 食うように成ったらしいけど、

 進化と共に、 人が人に対して 使う様になったらしい・・


 よは、本来?体格の違いで人を抑止するのに「差」が在った中で、

 投擲道具で人を打てば、 体格の差や無く 抑止力として遠くから人を裁けるように成り・・

 その進化によって 人類は「罪」と言う脳を 進化させたらしい。。


 一度の罪は「軽症」 二度目の罪は「重症」 三度目の罪は「殺す」

 人を裁く為の 人に対して撃つ専用の?投擲道具で、「罪」を犯した人物を撃つ


 この投擲道具によって完成され、、本来人類が持てる集団生活の限界 150人から、


 この抑止能力によって1000人まで増やす事が出来たらしい。。


 人間が人間への「抑止」と「集団」によって、 いわいる「法治」の大原則が、この投擲道具から?脳の進化によって 生まれたらしい・・

 実際に 医学の研究によって 脳細胞の働きの「罪」と言う反応する部分が解析?され、

 同じ暴力でも、「攻撃される暴力」と、「罪による暴力」の 脳細胞の反応の違いが?明確に出てるらしい。。


 おそらく?ネアンデルタール人は、この脳が発達して無かった為に?「集団生活」を築く「進化」か゛ 出来なかった?とも言われ、、

 滅亡した理由の一つ?とも言われてる半面、

 今の人類が 選ばれた?理由?では無いか?とも言われてる。。


 実際 ネアンデルタール人の墓や居住してた発掘の中では、この独特の投擲道具(人に撃つ為の)は発見されず、、

 ってか、投擲道具自体 ネアンデルタール人からは発見されて無いらしい。。




 話は戻る?けど・・

 人は潜在能力の中に「罪」と言うものが存在するのは、人類が生き残った「進化」の一つであり、、

 偶然に在るものでは無い?と 言われてる。。

 よは

 一度の罪は「軽症」 二度目の罪は「重症」 三度目の罪は「殺す」


 と言う 数万年前?に進化した「ルール」、今で言う「法律」が、


 今の人の生活の大原則?なんかも知れん。。


 よく「死刑制度」が問われるけど、、人は実際は、数万年前の進化によって、事実上は完成されてた?モノかも知れん。。


 法治国家が 人を殺すのでは無く、

 殺されるべき「罪」を犯した人物を 殺す為に、法治が生まれた?のかも知れん。。

 それが、今の人類が 他の滅びた人類の中で 唯一 生き残れた?原点?かも知れんし・・


 永山さんや福田の「罪」と、「死刑制度」の論戦を 重ねる事に 違和感を感じる?な・・


 本来、問われるのなら?彼等の様な状況に陥らない 「社会」の 何等かの思想的な進化や 医学的な進化や

 そちらが 問われるべき事で・・


 彼等を生き残す事?

 いわいる 彼等を殺せない法治国家って?なんやねん?って 事やろ?な・・


 北朝鮮やクメールルージュのような 歪曲?した左翼国家にしても、

 ナチスカダフィ政権や ファシストにしても、、


 法治国家が崩れ 人が法律に寄って「生きれる」大原則を奪われた時?


 「罪」と言う、人間の潜在能力の中に在る価値観の 重要性ってのを? もっぺん考える時期?なのかも知れんし、、


 日本は今、過剰な?平和を得る事で、逆に?「罪」と言う大切な能力が、 揺らいでる?気がする、、

 この福田の裁判の経緯を見て、

 この「罪」が 普通に?裁かれず、、


 色んな思想者が この「罪」とは関係の無い思想に寄って? グジャグジャに揺らぎ?


 場外乱闘?のように 社会が反応した事は、、


 何等かの「原則」が、過剰平和?によって 少し傾いてる怖さを 色んな場面から見てて 感じる?ね。。