おぎっち

ていすかんな


 ローラン.フィニオン 亡くなったらしいで、、50歳やったらしい・・

 89のツールドフランス そしてシャンベリーの世界選手権、元ティームメイトでライバル グレッグ.レモンとの激しい遣り合いは 感動の渦やったな。。


 ツール 山岳ステージでレモン相手にガンガンとアタックを掛け続け ヨレヨレに成りながらヘバり着くレモンを 必死の形相で振り切ろうとするフィニオンの姿は 自転車競技のホンマの真髄を観た気がしたな、


 確かに 最終日に敗れたものの あのタイムトライアル、フィニオンも好タイムで ステージ3位やったのよね、、その時 ティームメイトやったマリーが2位やったけど、そのタイムで走ってれば フィニオンが3度目の王座に輝いてたのかな・・・




 また あの時 フィニオンのアシストとしてシュペルUで走ってた中に サクソの名将監督リースが居てたし、

 ベルギーのADRのグレッグレモンは 最後 既に自身を含め3人しかティームメイトが居ず、そのアシストの中にヨハン.ムセウが レモンのアシストを していたらしい、、グランツールを狙うティームでは無かったんやろね・・


 




 ジロの覇者フィニオンと ツールの覇者レモンが 次に世界選手権で激闘するんよね、、


 最後 ケリーやルークス コニチェフ等が逃げる最周回 レモンが飛び出し フィニオンが追撃アタックでレモン追い着き、ツールの激闘が再び再燃し、最後の峠でトップのルークス等に追い着いてしまう、、


 豪雨の中 降りでもコニチェフやレモンは攻撃を繰り返し、


 降り切ったラストのフラットで フィニオンが最後に仕掛けるも レモンやケリー等は 徹底マークし、小集団の中ゴール勝負、、



 レモンが クラシックスプリンターのケリーを刺し、世界王者に成るんよな、、、



 あの世代のレースは メルクスやイノー インデュラインやアームストロングといった絶大なる王者や無く、 それぞれの国のスター選手が ギリギリの遣り合いで 王者を奪い合う、、面白い時代やった。。
 

 あの負ける自身の姿を絶対見せない プライドの塊 グランツール10勝のベルナール.イノーが 参加したツールドフランスで、 まともに敗れたのは レモンとフィニオンの2人だけ やからね・・・


 


 レモン、フィニオン、イノーが同時期に在籍してた ギマール監督のルノー.エルフ・・・





 後にイノーが追い出され ラビクレールを結成し、イノーVSフィニョン+世界王者(一度目)レモンで84年に対決する。。

 1位フィニョン2位イノー3位レモン、、豪腕イノーが敗れた・・・


 イノーはルノーから最強のアシスト レモンをラビィクレールへ引き抜き、最も危険な存在を自分の手元で封じ込め、85年に勝利する。。


 ただ 86年、その政治的なクラブ内の思惑 イノーの騙しに レモンが本ギレし、山岳ステージで唯一のレモンのアシスト ハンプステンやバウワー VS ルッティマン等フランス勢のアシストがイノーを救い、


 ラビィクレールのクラブ内で 2つのグループが2分割し マイヨジョーヌを奪い合う・・・


 イノーとレモンが山岳で 遣り捲くった為、3位以下が 散り倒して脱落し、2人だけのラルプデュエズは有名なシーン、、レモンは あそこでイノーを潰せたが イノーの背後で徹底的にマークし、明白なイノーの衰退の姿が 世界中に衛星テレビ中継で 配信された・・

 レモンに破れ 衰退が明白に成ったイノーは 引退、、


 膝を壊してたフィニオンは87年に復活の姿を見せるも 不調に晒され 次世代新鋭のフランス人選手シャルル.モテのアシストに徹し、その自身のプライドの苛立ちか、レースで補給地点 集団が補給体勢の中 まさかのフィニョンがアタック、、


 多くの選手が翻弄され 補給食を捨てた為 ハンガーノックに落ちる選手も居たらしい、、



 そして 89年、


 モテがRMOへ移った為 再びエースとして ミラノサンレモや ジロを制し 大復活した フィニョン、

 瀕死の銃弾を浴びて死に掛け トーシバどころか PDMにも捨てられたレモンが ADRに拾われ、、あのフィニョンとレモンの劇的なツールの激闘へ 突入する・・・






 





 最強ルノー.エルフの クラブ バス。。


 後にアマのボベへ寄贈?され、ボベのクラブのバスに使われた、、


 俺も ボベの時 このバスで レースへ行った想い出が在る。。




 半分は選手やスタッフが乗れる 普通のバスやけど、後ろ半分は 洗濯機やロッカーやチャリを積めるスペースや、、



 ちなみに 積み棚に 古いエロ本が 溢れるほど積まれ、


 レモンやフィニョンが観たかと 勝手に妄想すると、違った興奮が 重なり合ったぜ・・・





 そのイノーやフィニョン レモンを育てた 闘将ギマール監督が ボワルディさんを追放?し ボベのオーナーに就任した時、よくボベの寮に来てたけど 一度 講習を受けたが、


 俺には あの憧れ イノーやレモン フィニョンを育てた人が目の前で レースや練習の方法を 教えて貰ってるかと想うと、ドキドキしたぜ、、


 ただ 隣に居た塩貝君は ちょっと世代が違ったのか 淡々と聞いてた・・ 






ギマール監督と フィニョン・・


 ちなみに コフィディスの監督として復帰したギマール氏は アームストロングを獲得するも そのアームストロングが癌で一時引退を余儀なくされ、同時期に ギマール氏はマキシスポルトの自社が倒産し、コフィディスの監督をクビに成る・・・・


 ちょうどその直前まで ボベの寮のオーナーも兼任してたから よくギマールさんを寮で遭ったし、15歳のフランク.シュレック等 ルクスの若い選手も多く引き受けてた。。

 「アトランタの五輪後に 癌の事を公表する・・」と アームストロングの極秘の事も ギマールさんは言ってたらしく、


 治療が完治すれば 引き受けるらしき話もギマールさんは言ってたらしいけど、その当人が監督を直後にクビに成ったから アームストロングの治療後のの再雇用も立ち消えた?のかな・・


 それが もし 確執に成ってたとしたら、、微妙な話やけどね・・


 
 

 けど その後に ギマール監督は フランクの弟 アンディ.シュレックを 次はVCルーベ?で引き受け、その能力の高さを見抜いてたらしい、、・・