おぎっち

つきひまみれるめけろむ


 「直球を投げれんよう成ったら、怖い・・」


 清原に対して 全て 直球を投げた野茂の言葉・・・



 清原が「そこまで 直球を・・」と 呆れるくらい 対戦した5年間、野茂は 全て 清原に対して 全て直球で勝負し 打たれ、リードしてたキャッチャーが 仰木監督


 「何が 平成の名勝負や!!!」と 怒鳴られれ、苦悩させてでも 野茂は直球を投げ続けた らしい・・・


 その為、清原の野茂に対しての 打率は 3割6分を超え、


 野茂はマスコミに 非難を浴びた。。。


 けど清原は 引退後


 「得意のフォークを一切 使わず、必ず 野茂が直球で来る玉を 自分が打てなかった事の 怖さを考えると、自分の三振の価値は2倍にも3倍にも 値する、、」と?言ってた。。


 野茂が大リーグへ飛び出し、活躍と記録と、そして日本の歴史を動かすパイオニア カリスマと成って以降も 全盛期を過ぎた末期ですら 大リーグに拘り、


 あの 恩師の仰木さんに 「帰って来い」と言われても、一人 孤独に海外の底辺を渡り歩き、、


 最後は 大リーグ ナショナルズで復帰を果たすも 打たれ捲くり、


 その数ヵ月後 静かに引退表明の文面だけを マスコミに伝えてた。。



 


 その 短い伝えた マスコミの一文は 俺には 忘れられへんね。。



 誰にも媚びず たった一人 英語も喋れないまま 本場 米国大リーグへ飛び出し、


 今の日本の世界挑戦のパイオニア 重要な一筋を残してた のに



 余りに 誰にも評価されず 一言を残して 静かに去った事に


 強烈な哀しさを 感じた・・



 

 俺にとっても 野茂さんは 心のヒーロー、、



 あれだけ 大リーグに拘った野茂の


 「僕、英語 喋れませんからね〜、、」の一言に、


 笑いながら 「野茂らしいなぁ〜、」と呆れてた 清原の一言も 嫌いじゃ無いな・・




 野茂さんは ホンマは引退を口にする気も無かったらしい、、



 どんなけ腐っても アマであろうが



 自分が ピッチャーとして野球が遣りたかったから


 別に 引退を表明する 意味も 無かったらしい、、




 ただ 応援してくれる人に


 自分が 能力として プロとして投げれなくなった


 衰退した姿のまま

 自覚したまま

 「頑張って、」と応援される事に 辛さを感じ、




 マスコミに 文面だけ 引退を伝えて、



 パイオニアの道に 終焉を えたらしい・・・




 
 自分が20代の頃、フランスに行ってた時に 野茂さんの写真を壁に貼ってたね・・



 その写真の姿も 既に野茂さんはドジャースから捨てられ メッツの二軍に拾われ 苦悩してた姿で、


 最終的に そのメッツにも 捨てられ、米国を渡り歩いてたらしいけど、



 俺には その姿が 心のヒーロー やった。。