おぎっち

といさすそしはかひんこきみくま


 なんか浅田監督のティームって 熊野の時点でスポンサーからの資金が枯渇してたらしいで、、

 熊野って5月やん、、

 熊野の欠場も 実は資金が足りんかったって事らしいで。。


 個人募金を急募してたり 一部の選手が引退してたり、、


 15年前にフランスへ行く切欠を造って貰ったけど、

 あの時期に海外へティーム単位で 海外のレースをメインにして 戦略的に活動してる組織や 海外を前提にして若手育成を組んでた組織って

 全く無かったよな、、


 それなりに走れる様に成ったオッサン選手のファクトリーからを掻き集めて ポツポツ行ってたくらいで。。

 20歳の頃に ボベに行ってビックリしたのは

 24歳で 引退してたカナダ人選手が居てた、、「帰ったら辞める」と言ってた。。

 ランディ.ジャックと言うアマの選手やったけど、カナダのアマ代表選手として ボベに来てて その中で ただ1人 成績を残せてたから ボベのクラブに入れて貰ったらしい。。


 その人 アマ版のツールドフランドルのレースで 2位に成ってたけど、「自分は もう24歳で プロには成れない、、引退する・・」と言ってた。。

 そのレースで勝ったのは 20歳前後のメルクスの息子で その後 すぐプロに成ってた・・


 あのニュージのジェンナーは 確かに大きなアマレースでも勝ち捲くってたし アマのニュージのチャンピョンで 後にツールにも走ってたけど、

 あいつ 俺より年下やからな、、

 あの時 俺 21歳やったから あのニュージ 19歳やった。。

 同じティームに居たゲドンは既に23歳やったらしいけど、アマのパリルーべで2位に成り 翌年にポルティからプロに成ってた。。


 隣の部屋に居たルクセンブルグのプースも20歳の頃に アマのリュエージュ(バストニュ)で優勝して コフィディスの総監督やったギマール氏に

 「後一回勝ったら コフィディスに入れたる、、」と言われてたらしいけど、勝てず 結局 大きなクラブのプロには成れんかったらしい。。


 逆に 同じジュニアのボベで走ってた 15歳のクランは その頃から強かったけど 後にコフィディスに入ってた(ドーピングで引退してたけど、、)

 シュレックも15歳で 同じジュニアのボベで フランスのレースを転戦してた。。


 そうやねん、、


 23歳って オッサンやねん、、


 21歳の俺 あの時 ボベで出会った選手って みんな年下や!!


 ジャック選手や プースや ジェンナーや 個人で来てる選手も多かったけど、

 ルクセンブルグノルウェイ アルジェリアや アメリカ(ピスト) 韓国 カナダ 国単位のナショナルティームで来てる選手も多く

 しかも ほとんどは ジュニアやアンダー23 いわいるエスポワールの選手で、エスポワール基準の 育成も含めた 一つの スポーツ版な国家戦略なのよね。。


 「日本には これが 全く無い・・」

 冬にアルバイトで稼いだ ナケナシの金で 一人 来てた俺には 自分との違いに 衝撃的なショックやった、、。


 
 けど 日本が世界で通用しない理由が ハッキリ 解った。。


 「日本は オッサン ばっかりや、、、、」

 「年齢的に 引退 せなアカン選手すら 中核枠に生き残ってて、、若手の入る枠すら 潰してる・・」


 二十歳までに 組織的な選手の育成を目指した 国家戦略的な 本場ヨーロッパのスピードに通用する 組織が

 日本には 全く 無い。。


 ショックやった・・・



 その後 浅田さんが ブリジストンやリマサンズの若い選手を連れて フランスへ渡りボベの寮で活動を始めたらしく 噂を聞いたけど、


 あの流れから 別府選手や のちのメイタンから新城選手が プロに進み ツールを走ってた。。


 
 今の日本にしても ホンマに最高峰のヨーロッパを基準にして、世界で通用する選手を育成しようとしてるのは 浅田さんだけかな、、


 ホンマは それを日本の国家としての スポーツ戦略の枠組みで 浅田さんを中心とした形で在るべきなんやと想うけど、、

 もともと日本に そんな競技の価値観は無いし 昨今の民主党の仕分けで かなり助成が減額されたらしいし、、


 日本は金持ちの国なんやけど、、団塊世代を中心に 文化の価値観が非常に乏しいから、、、
 

 非常に 残念やね・・・