おぎっち

のまくきになくき

 五輪の資格、サッカーの場合 エスポワール、いわいるU23しか出れないんやね、、

 4年に一度しか出れないのに、、23歳以下って、、なんか不公平?やな・・


 やって オリンピックの年の年齢に束縛される訳やから?、

 オリンピックの年に、 ギリ23歳以内の選手と、19歳の人とでは? 流石に実力差は在るやろ??

 選び易いとすれば?やはり 絶頂期の年齢に近い人から順に? 実力差で選ばれる訳やから、、

 19歳で 五輪 最後の挑戦?なんて選手は、、選ばれるのに不利?なん違うやろか・・



 一応 オーバーエイジ枠が在り、、3人だけ 年齢を超えてても 選べるらしいけど・・



 そもそも、五輪はアマチュアの祭典やった?らしいけど、、


 世界の方向性として? 競技によってはプロアマをオープン化して行く?風潮が在る?らしく、、


 そのかわり、アンダー23といった、年齢枠で区切られる事が 多くなった?のかな・・


 東欧の社会主義時代に? 個々の プロ(仕事)競技が許されてなかった 彼等の諸国で? 

 国が事実上 スポンサーと成って、国家プロみたいな待遇で アマチュアの競技に参加し、圧倒的な力を発揮してた?らしい・・


 いわいる、社会主義思想?の中で「アマチュア」と言う存在は「絶対」的な存在であり、、

 五輪で力を発揮出来る 西側に対して 己の主義の「広告」の場でも あった?んやろね・・


 反面、西側のプロの競技者は 五輪から追放されてて、、(「プロ」って存在は、 資本主義の象徴?やからね、、五輪って発想自体、基礎は社会主義と似てる?かもね・・)

 自転車競技もまた 世界選やツールに活躍した イノーやメルクスは プロに転向してた時期は 五輪に出れなかった・・

 よは、ソ連の怪物と メルクスは 絶頂期には対決していない・・(メルクスは アマの頃に五輪に出てたが まだ19歳?だったため 勝てなかったらしい・・)


 よは、「アマチュア」と「プロ」ってのは、組織的には「明白に区切られ」てても、体力的には 物凄く「曖昧な存在?」やったのやろね・・


 ところが、社会主義諸国が80年代後半に脆く成り始め、、ソ連の選手や東ドイツの選手が プロの競技に参加し始め、、

 実際、自転車競技でも ソ連ナショナルティームとして プロのブェルタ(ツールドスペイン)に参加してる・・

 そして、ソ連の崩壊寸前には 個人でもヨーロッパのプロクラブと契約するように成り、、


 事実上「アマチュア」の存在が 急激に 意味を成さなく成って来たらしい・・


 それは、四年に一度の五輪も例外や無く?

 何処からがプロで、何処までがアマなのか? 解らない競技が増えだし、、

 よは、五輪の場合は 特定の競技の祭典ではなく、あらゆる競技を一定の理念で運営してるため?に、、

 チャリはプロアマがオープンでも?、、野球はプロアマは 対立したまま?とか、、

 一定の基準とか?理念とか?の管理が難しくなった?のやろね・・


 自転車競技の五輪の場合、、90年中盤以降は、突然 完全オープンに?してしまったから、 

 プロロードの 超一流選手も出れるし、アマチュアしかなかった?日本選手も 参加枠さえあれば 出れる・・

 よは、プロとアマが無くなり、

 代わりに、エリートとエスポワールへ 制度が代わり、、


 年齢別へ姿を変えた、、


 最大の理由は、やはり ソ連崩壊やドイツ統一といった 「アマチュア」の塊?みたいな?社会主義国家の崩壊が 大きかった?のやろな・・



 ただ、その流れの中で?意外と 欧州から南米 アジア.アフリカと メジャー国の多い、オープンな競技?のイメージがある、サッカーが、U23を導入してる?のに 意外性を感じる・・

 
 けど、、同じ?四年に一度制がある「ワールドカップ」との 差別化?が、 価値観として 存在してる?ってのが あるのやろね・・
 

 四年に一度の、プロの祭典「ワールドカップ」と、 アマの祭典「五輪」って、、ランク的な価値観?、が、、

 サッカーには 強く?残ったのかな・・


 そこへ、80年代後半の社会主義の崩壊で、五輪から「アマチュア」が消えた為に?、


 仕方なく?、「U23」が 中途半端に 基準に?成ってしまったのやろね?・・