おぎっち

ちつとしはきくま


 21歳の時 ルイゾンボベに行った時 ボベの合宿にフランス中部へ行った事があった・・

 ボベって トップアマは ほんまのトップアマで カストラマのテスト生みたいな選手が5人位居てて バイクもボベが供給を受けてたホセアルバレスや無く カストラマと同じマキシスポルトに乗ってて ちょっと別格扱い?やった・・


 俺みたいなカテ2とか3とか走ってる選手は なかなか 1で走ってるボベの選手に会う機会が少なく、


 あんな合宿で30人も集まるのは珍しかったな・・・



 そこに 後に パリルーベやパリツールで勝ったゲドンや ツールドフランスで新人賞に成ったサロモンや、 後 数人は 後々 プロに転向してメジャーレースで走ってる選手等も 居た・・


 当時のサントルボベは リビジョンナショナルの一番上のプルミエに位置してて フランス全土の数千クラブの中の トップ12ティームの中に入ってた、、


 やから 中には給与を貰って走ってる選手も居てて、半分賞金 半分クラブからの給与で 仕事には就かずとも 食ってる奴も 居たらしい、、



 逆に言えば 日本の当時 能力の在った若い選手が あの時 そこで走ってたら、、活躍してれば、もう少し早く 時代は動いてたと 想う。。




 何人かの日本人も 行ってたけど、ほとんど実業団や国内プロ?と シマノやBS ボスコや いわいる実業団で活躍する為に行ってる選手ばっかりで 逆に ヨーロッパで「もう一つ上」と そこで抱ける状況の人は 居なかったのかな・・
 


  まぁ こんなこと書くのも変な話やけど、俺なんか行っても 何も出来んかったかな・・


 それが理解出来る分のレースは たぶん 走ってたと思うので 特にゴジャゴジャと想う事は無い。。



 ただ解ったのは


 俺より強い奴等が 俺より みんな若い、、


 俺が二十歳前後やったけど、、


 俺より年下ばっかりで ゲドン選手とかは 2つほど 上やけど 翌年にはポルティとかでプロに転向してるので あの人等が最終やったんかな、、プロに成れる 年齢制限?(23歳・・)・・


 当時 日本人でヨーロッパに行けた選手って、22歳で大学を卒業して ファクトリー入ってで しかも ある程度 国内で実績を積んで 活躍して 認められて ようやくヨーロッパ行きが認められて と成ると、、26歳以降かな、、


 そんなオッサン選手 ボベには ほとんど居ない、、


 みんなプロに成るか 大半は諦めて引退して ローカルアマで走るか、、その年齢では 決まってしまってるからな、、。



 

 これを 国内でしか走った事が無い人間に言うと 嫉妬で キレられるので 微妙なのやけどね、、


 ま 海外 行って 笑われるか、国内に留まって 嫉妬攻撃に浸るか、、



 どっちか みたいな話だな・・・




 そんな狭い価値観 時代遅れで 哀れ過ぎて、 正直 触れたくも 無い けどね、、



 今は 多くの若い選手が 国内を飛ばして いきなり海外のアマで走ってて、

 別府選手や 新城選手のような ヨーロッパベースで強くなって プロへの道筋が 生まれてるけど、、



 俺の年齢の選手で 若い その年齢の頃のって、、 そんな価値観を持ってる奴は 殆ど 居なかった。。




 どっち着かずの 意思の薄い 窪みの世代やからな、、俺等 団塊ジュニア 72〜78年くらいの生まれって・・