おぎっち

ええかおくんな


 死んだら 終わりなんやな・・

 燃やされて 灰に成って

 時間と共に忘れ去られて 知ってる人も亡くなっていって、、

 人の心って残すのって リヤルに考えると 凄く難しいのかも知れないね・・・


 人って 動物の癖に 心を持ってて 宇宙や時空 自らや他人の心や精神 を 知ろうとしてて、


 何故 そんな 存在に 成り 必要と 成ったのやろか?


 何時も ずっと 不思議。。


 そして 生意気・・・


 ある時 隣のオッサンが  あの半世紀は乗り込んだチャリに大きなカゴを括り付け 野菜を入れて 畑から帰って来て

 家の前で擦れ違ったが

 その翌日 そのオッサンが死んだのを 母親に聞かされた、


 余は その擦れ違った晩 何時もの如く 家でコタツで眠って そのまま死んだらしい・・


 今 想えば 凄く不思議なオッサンで、、

 市内に 畑も無くなった亡くなった最近まで 自分のウンコを貯めて 畑に撒いて 肥料にしてた 日々で生きてきた


 どっかの 山奥でも もう遣ってないような農業を 生野区内で 死ぬ間際まで 一人 孤独に遣ってた 卑屈?な人やったけど、

 荻田家の親戚には そう言う 訳の解らん人が多過ぎて、

 そのオッサンもまた その一人?やったな・・・


 死ぬ間際まで。。。



 ま その亡骸を観た時、あの癖の在る妙なオーラも消え、あんな穏やかな亡骸は 珍しかった・・・


 「このオッサンこそ 幸せやったのかもな、、知らんけど・・・」と 想った。。



 苦しんで 重い遣り取りで 自分も周りも苦しんで 疲れ果てて 死ぬより


 こう 隣のオッサンのように 逆に 静かに消えられる方が 在る意味 羨ましいかも 知れんな。。。


 けど そのオッサンが消えた時、なんか 自分の周りに在る 日本の一つの時代 世代が 消えた気がしたけどな・・・