おぎっち

NHKの震災番組を観たけど、、

 

東北の人が未だに「震災特需」や「ボランティア」を充てにしてた事に驚いた・・

 

あれから8年、、正直 熊本もそうやし、昨年だけで 北海道 大阪にも震災が起き、広島や岡山や 水害や台風の災害も多く起きた・・

 

既に東北の震災は忘れ去られた災害になり、「ホンマの震災」が起きてるん違うやろか?な、、

 

神戸の震災も、5年目以降から 忘れ去れて行き、10年目以降は 取り上げられる事自体が消えつつ在ったかも知れん・・

 

そんな中やからこそ?、、未だに「震災特需」を充てにしてる東北の人には 疑問を感じる。

 

震災が起きて以降、確かに「復興」と言うモノに 何らかの偽善的な幻想が多く在り、それに縋ってた「他力本願」みたいな空気が許されてきたんかも知れんが、、

 

さすがに8年も経って、、未だに それを語ってる事に違和感を感じるな。。

 

変な話、この8年 莫大な国家予算の税金が東北の震災の復興に投資され、、ちょっとアグラをかいてるんや無いのか?ってのを感じる。。

 

かつてのボランティアの偽善的なエネルギーを 永遠の充てにして 喰って行こうとしてる事が、かえって東北の人を駄目にしてて、、

 

それが 最近 しっぺ返しの如く 負の遺産として現実味を帯びてきてる様に感じる。。

 

結局、復興と言う名の下に「投資」を受けたとしても、それは所詮「投資」であり、、返済するべき金でもあり、、

 

決して「義援金」では無い。。

 

どこか、「私達は可哀想だから、、」と言って許されると思ってるのでは無いのか?、、

 

やから、未だに「震災特需」や「ボランティア」を充てにしてて、、

 

忘れ去られてる事に 不信感を描いてるのや無いやろか?・・

 

本来であれば、震災直後はボランティアのエネルギーで ある程度は被災地の復旧を補う存在かも知れんが、、

 

2年目以降とか、自力で被災地が復興できる状態に成れば、むしろ そういった支援から遠ざけ、、

 

産業としての復興や、街としての循環に移行するべきやったのやろし、、

 

神戸の震災の時も、忘れ去られると同時に、都市機能の循環が成されて行ったのかも知れん。。

 

けど、8年経った東北では 未だに「被災地」と語られてて、、当時の被災者も 未だに「被災者」やと思ってるのが、、ちょっと怖さを感じる・・

 

 

 報道で 8年経った 今にして「忘れ去られて..」云々と語ってる 当時の被災者の言葉が なんか 耳に引っ掛かる・・

 

可哀想やからと言って、日本は 一生 東北の人を喰わせなアカンのか?、、莫大な国家予算を投じ続けなアカンのか?・・

 

確かに福島の原発事故は 未だに現在進行形かも知れんが、、

 

復興庁ってのも 流石に8年は長過ぎるよな?、、

 

 

 8年も経って、むしろ東北の人自身が 自ら「復興」と言う言葉を 捨てる時期なん違うやろか?、、