おぎっち

地震やったらしい、、昨日 珍しく?寝れんかったから そのせい?かな・・

地震前とか?、、結構 頭痛に成る・・



阪神大震災の時も、寝てても なんかソワソワして 起きてたら ドンっ! と直下型の地震が起こったもんな・・


なんか有るんやろか?ね。。



そんな中?


昨日の深夜に 妙に脳が起きて、、考え事が止まらんかったな・・


そんな中?


昔、チャリのレースに出てた頃の事を想い出してた・・


正直言うと、プロを目指してた訳や無かったし(目指せるなんて言えた立場や無かったし..)、、


フランスで走った時は、ただ無我夢中?、、なにが「目標」と描ける様な状態や無かったかもな。。


特に?、自分が居た寮は フランスのトップアマ最高峰のリビジョンナショナル1のクラブやったので、、プロ寸前のカストラマの研修生や 多くの育成選手が滞在してた・・


正直言うと、自分の様な能力の無い人間が居る様な場所では無く、


実際、その中に 後にプロに転向して、ツールに走った選手は 自分の記憶が残ってるだけで 7〜8人は居てた?ん違うやろか・・


毎日の様に練習した?NZ人は 後にクレディアグリコルでツールに出てたし、一緒に良くレースに出てたフランス人は 後にコフィディスでツールに出てたし、、


余り喋った事は無いが、プロのパリ―ルーベで勝ったゲドンも 当時はレースで一緒に走る事もあったし、ツールで新人賞を獲ったカジノやAG2Rのサロモンも 当時 普通に同じレースで走ってた・・


寮に来てた選手等は外人選手も多く来てて、トラックでアルカンシェルを着る様な選手等も暮らしてたし、ジュニアの頃のシュレックも暮らしてた・・


イノーなんか 偶に寮に来てたし、、80年代の闘将ギマール氏も後々 その寮の館長をしてた・・



よは、普通に?、本物のプロ選手や育成プロ、世界最高峰の指導者なんかも、普通に暮らしたり 出入りしてたので、、


自分が勘違いする事は 全く無かった・・


やから、「プロ」なんか言われても、、目の前の世界最高峰の プロ寸前の若い選手等の活躍を 直に見てたら、腐っても そんな生意気な事は 恥ずかしくて言えた立場では無かった。。


ただ、


やはり、フランスへ来て、スペインへ来て、ベルギーへ来て、レースを走ったりすると、


自分の立ち位置は解ってても、、簡単に辞めたく無かったし、


例え、誰に 自分を全否定されようが、


そこに その世界が在る限り、簡単に辞めたく無かった?かもな。。


ただ、


世界最高峰を基準とした 育成プロセス?、 そして国家戦略?、、


アメリカ、ノルウェイルクセンブルグ、カザフ、オーストラリア、イギリス、ロシア、、


当時 マイナーやった国々が、五輪戦略を含め、国家規模で統一した育成国家戦略をプロセスとして描いていて、、


その自分が居たフランスの寮や、あのベルギーのアパート、バスクで出会った育成国家プロ、、


そこに暮し、、今 メジャー国等を上回る活躍を描き出し、


何の何が「本物」なのかを、世界最高峰と言う 国家プロ戦略と言う視野で戦って、


答えを導き出そうとする姿を、あの場で 目の当たりにした時?


自分の目はアナガチ? 濁って無い方?やと感じる。。