おぎっち

せらにまなくれりのまく

 バスクで少し走ってた?頃 700キロ弱のステージレースを走った事がある・・

 ビダソア?一周って名の ビダソア川周辺を走る ローカルな国際大会やった、、

 一応?5日間 なんとか完走したけど ブービー賞やったな・・


 バスクのローカルなクラブがメーンに?参加してたけど、、

 前年はルビエラ(後にディスカバリーやアスタナで走ってた)が勝ってたし、、3年前はオラーノ(後にマペイやバネスト オンセ?)が 勝ってたから 

 そんなレベルの低いレースでも?無かった気がする・・

 オラーノも マペイの前は、 ACRと言うバスクのローカルクラブで走ってたらしく、、そこで活躍して マペイクラスへ?移籍したみたい?やね・・


 後に参加した ナバラ一周というステージレースでは、ロシアのオリンピックティームが 活躍して 優勝してたけど、、

 自転車は 借り物やったらしいで、、

 当時 ロシアは金欠で 金が無く、、大会側が参加を打診したら?交通費や宿泊費以前に「自転車が無い 貸してくれ、、」って 言ってきたらしい・・


 やから、、ロシアのオリンピックティームは、、半分はフランスのMBKサンカンタン?から 自転車を借り、、


 半分は イタリアのクラブから コルナゴを借りてた・・


 やから 半分はMBK 半分はコルナゴのチャリを借りて 参加し、、優勝してた・・

 勝ったのは19歳くらい?のロシア人やったけど、、


 セルゲイ.イワノフ?って選手やったらしく、やはり 後にTVM?やテレコムへ移り、、 活躍してたらしい。。


 ま、共に? 若い選手が 大きなクラブへ移る バスクの登竜門みたいな?レースやったから、、

 今思えば、他にも? 後に活躍した選手なんかも 一緒に走ってたかも?知れないね・・


 ただ  実力差が有り過ぎて 当時はガムシャラ?やったから、、それどころや無かった?けどね。。


 「選手」に成る夢?を諦めた 経験やったから? 今 想えば それはそれで 良い経験?やったのかな?・・



 ただ、こうやって 場違いな?活動?をしてると、日本では中々 経験出来ない事ばっかり?やったから、


 結局 今 想えば、あの時が一番 チャリンコが楽しかった・・


 結局の結局?チャリンコが楽しかったというより、、未知の世界?をウロウロししながら ロードレースに触れていく興奮?

 それを ボコボコに成りながら?楽しんでたのかな?、、よう解らんけど・・


 やから、 自分が「選手」って 感覚を抱いた事も 無く、、


 「選手に成りたかったな・・」と 想う事も多いな。。


 「競技者」ってのは 目先の何チャラ?って自己満足や無く、、


 自分が何故スタートに立ってるか?の ちゃんとした意思を持ちながら 「勝つ」と言う答えを追求してる人であり、


 多くの犠牲を払い、その競技に向かい合いながら 活動してる人を「選手」やと想ってる。。


 自分も そうやって彷徨ってる?と、何人かの競技者と呼べる人も 出会ったかも知れないし、

 そう言った人と 自分とを比べると、、


 「自分は そうでは無い?のかな・・」と想う事が 多かったな。。





  何故?そんな話を想い出したか?と言うと、、


 トーマス-デヘントをウィキで調べたら、4年前(2009年?)20歳の頃に このナバラ1周に出てて、 第4ステージで1勝してる・・


 ナバラ地域と言っても、北部側は山岳の多い バスク圏やから、

 (スペインが示すバスク地域と、バスク人が抱くバスク国は 範囲が全く違う・・)

 バスクの選手が多く 参加してる・・

 そんな中で シント-ニクラス出身(フランドルのオランダ側 ど平坦の街・・)のベルギー人、デヘントが勝ったなんて、、


 自分も、シント-ニクラス辺りのケルメスも 何度も走った事あるけど、、ホンマ 「海抜0」みたいな ど平坦やったで・・


 あんな所 出身の選手が、山岳バスクのレースで バスク人相手に 勝つなんて?、、



 凄い 意外。。