おぎっち

ちとしはきくま


 76年からのクメールルージュが政権下の4年 行った数百万人とも言われてる虐殺が 何故 裁かれないのか?問われないのか?、、

 って観て観ると、、

 アメリカや中国と言った大国が 80年代の後に クメールルージュへ軍事支援し、内戦が悪化した中での 旧ソビエトを含め 大国の思惑で アヤフヤに成った?とされてる・・・

 と言うのも 元々 南ベトナムを支えてたアメリカが 隣国のカンボジアのロン政権?を アメリカにとって優位に擦る為に支援し、クメールルージュとも戦ってたらしい。。

 ただ

 ベトナムとの戦況が悪化し、カンボジアへも米国は爆撃を多く繰返した為、農地は荒れ果て カンボジアの農民の支持がクメールルージュに回った為、

 逆に カンボジアでも アメリカは負われる羽目に成り 撤退してる。。

 そこで誕生したのが 民主カンプチア?と言う クメールルージュの国家らしく、、前政権でアメリカ拠りやった知識人や医師 教師と言った 後に反共産の運動を遣り兼ねない人々を、片っ端から 炙り出し、殺し続け 虐殺して行ったらしい。。


 余は 強制労働させてた人間を集め、英語で「我々(クメールルージュ)は 教師は許す、医師は許す、出て来て欲しい」と 幹部等は 彼等に問い掛け、

 出てきた人々を連れて行き そのまま その場で 銃で後頭部を撃ち 虐殺し、遺体を捨てる場へ 捨てられていた。。

 その場こそ、遺体が一面に放置された「キリングフィールド」と地名として?呼ばれていたらしい。。


 やから 英語やフランス語に反応すれば 必ず殺される(過去 白人社会に媚びていた知識を持ってる可能性が高く・・)。。


 踏み絵のように そうやって 徹底的な虐殺と言う 弾圧を 遣った?と されてる・・


 
 ただ、クメールルージュ自体も 元々は フランスへ渡り「共産主義思想」を学んだカンボジアの人々が創った組織で、

 その中に ポルポト氏も入りフランスで留学してた。。


 やから ロン政権が倒れて以降 米大使館は軍のヘリで逃亡するも、、クメールルージュが進行して来ても フランス大使館は最後までプノンペンに残る事が出来、

 多くの白人や外人が フランス大使館へ潜り込み なんとか虐殺される事は避けられ、逃げる事が出来たらしい・・


 また 多くのカンボジア市民も ベトナムへ逃げ、

 過去 元々ベトナムに屈して来たカンボジアとの対立で、 仲が悪く?

 クメールルージュ側はベトナムとの国境近くの ベトナムの街へ進行し、4000人の町の人を ほぼ全員 殺し、生き残った村人は2人だけやったらしい。。

 それを切っ掛け?か、


 既に ソ連側 北側のベトナム国家に成ってた政府は、カンボジアの逃げて来た人々を集め、軍を造り、

 今度は カンボジアへ進行する、、


 クメールルージュは 政権後に 多くの知識人を徹底的に殺して行った中で、原始共産主義


 いわいる 現代の資本どころか 根本的な進歩も拒絶し、、資本の象徴的な存在システムである「通貨」すらも 廃止してしまったらしい・・

 なんぼ 農業を強化した原始共存国家の樹立とは言え、国力は疲弊するわ、、


 そう成ると、隣国との鎖国 周りとも関係が悪化し、、軍事的な供給も含め 疲弊する中での

 ソ連支援のベトナムが 関係悪化で、カンボジアへ進行すれば、悉く遣られてしまい、、


 半月で首都が陥落?したらしい、、


 
 ただ アメリカは元々 ソビエトのアジア勢力支配拡大を 最も恐れていた為、、


 そのソ連ベトナムカンボジアへ支配される事にビビリ、、


 今度は アメリカが、その4年 虐殺で数百万人を虐殺したクメールルージュを支援 してしまう、、


 ここが 後に この大虐殺が 国際法廷や公の場で裁かれない、最も愚かな大国同士の思惑が 見え隠れ しているらしい。。


 

 ただソ連の支援されたベトナムが、反クメールルージュ組織を支援し、首都を陥落し、新しい政権が誕生し、

 変な話し 共産主義共産主義が戦う 内戦へ突入した って事で、、


 いわば、新政権はソ連、旧政権のクメールルージュは中国が 支援し、中ソの 代理戦争がカンボジアの内戦の大きな意味と思惑と 戦況悪化を産んだらしい。。

 その中で、アメリカや隣国 タイは、ソ連の侵攻を阻止する 別の思惑により、中国側 いわいるクメールルージュを軍事支援する。。


 よく カンボジアで地雷が埋められ、市民が犠牲に成ってるのも、過去 そう行った時に アメリカが供給した兵器でも在る・・


 
 
 最終的には 世界の情勢が変り、またソ連が崩壊し、対立の世界勢力図が変る中で、クメールルージュは衰退し、逆に政権側に寝返ったり、

 クメールルージュ側に着いてた王政側が政権と会話を始め、、


 国連がカンボジアへ関与して以降、内戦から政府樹立へ?変り、国名や国歌も対立以前のカンボジアへ戻し、

 総選挙が行われ、、


 それ自体も拒絶していた 90年代後半 クメールルージュは 農村へ負い遣られ、、


 その象徴で在るポルポトは クメールルージュの幹部が政権側へ歩み寄った為に その幹部と家族を皆殺しにしてしまう・・


 それにより、今度はクメールルージュ側から ポルポト氏は終身刑を言い渡され、公表では癌か何かの老衰?やらしけど その農村で死んだらしく、、


 毒殺された とも言われてる・・



 ポルポト氏の遺体は廃タイヤと共に 燃やされ、、強権極左 大虐殺を行ったとされる 共産主義組織クメールルージュは

 過去 政権下での 300万人とも推測される 大虐殺の実態 有無 行われた姿を 殆ど暴かれ 裁かれる事は無く

 事実上 消滅?したらしい。。


 
 ただ カンボジアは 69年以降 国勢調査を遣っておらず、、何人 生きてて 人口が どれくらい暮らしてて って事自体が解らず、、

 そこで 共産政権下で 多く虐殺された為に、


 どれだけ殺されたか?が、

 それ以前に どれだれ国民が居たのか自体が 把握していない為、

「解らない・・」らしい。。


 だいたい、ポルポト氏自身、出生が未だ解らないどころか、実は サロットサルと言う人物と言われて、、本人は否定?してたらしいが、、実態自体 通説が複数 違って存在しているらしい。。


 近年の 在る意味 解り易いような? アラブやイスラムと米国との対立や戦争とは 全く違い、、 


 カンボジアの この数十年の混乱は 大国の思惑で 立場がガンガン 入れ替わってしまい、、


 その中で、市民が多く 戦争や弾圧で 虐殺された話しは、アヤフヤに消され、、

 今も この内戦の意図自体 理解していない カンボジア市民は 多いらしい。。

 まぁ 後の内戦後に総選挙で選ばれた フンセン首相も 過去 クメールルージュの一員やったらしいし、、

 そう言った国内政治の中での思惑や 伝えられる教育もまた、実態が有耶無耶にされてる一因なんかもな?・・



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(映画「キリングフィールド」、、開けて良いのか? 何とも言え無い パンドラの箱のような?映画かも知れん。。)